Wednesday, January 11, 2012

なぜか写真が縦にならなくて申し訳ありません。
タイのダイビング器材を扱う大型店が2011年夏に募金のために売り出したTシャツです。
前面は日本地図のデザインになっています。

Friday, December 9, 2011

Wednesday, August 3, 2011

放射線物質を体内から排出

ワインを造っている人から聞いた話です。

赤ワインに含まれるポリフェノールが体内から放射線物質を排出させるそうです。
特にメルローとカルベネ・ソーベニョン。

海外から東北に向けて赤ワインがたくさん送られているそうです。どれくらいの量が個人にいきわたるのかはわかりませんが。
海外の小さなワイナリーからも無料で提供されているそうです。ここまで大々的に動いているということは、かなり信憑性があるのではないでしょうか。

一日1杯でも、もしも効果があるものを飲めば、少しは違うかもしれません。

Monday, May 23, 2011

南相馬で出会ったことば



5日間の短い活動の中で、市民、ボランティアなど沢山の方々に会い、僅かながらですが、色んな声を聞きました。

そんな中で、印象に残ったものをいくつか紹介して南相馬市原町ボランティアセンターでの活動報告とさせていただきます。


託児所にやって来た子ども連れのお母さん。
「旦那がね、原発行ってんの。危ないけど、このままだと子どもたちが可哀想だからってね。」

毎日ボランティアをやっている地元の高校生
「(原発事故のため高校が休校扱いになって)自分の通ってた高校は、私立なんで、仕方なく通信に編入しました。だけど、通信高校では目指していた工業科の色んな資格は取れんっす。」

託児所にやってきたお母さん
「本当は、外で思いっきり遊ばせたいんだけどね・・。外はやっぱりアレだから・・・。」

ボラセンの職員さんがオリエンテーションで
「ボランティアさんの活動は、被災された方のあくまで側面的支援です。」

泥出しを行った家のご主人が帰り際に笑いながら
「あと、2年くらいしたら、是非遊びに来てやって下さい。多分、それまでには綺麗になっているでしょうから。」

遺留品洗浄をやりながら泣きそうになっているボクを見た他のボランティアさんが
「考えちゃダメだ。考えると誰だって泣きたくなるから。」

泥出しを行った家の家主さんが、海を指さし、
「ここから海が見えることがなかった。ここから海まで2キロ離れているけど、ここから先の集落は全滅さぁ。

遺留品洗浄の現場でボランティアさんが
「人が幸せに生きてきた証だもんな。なんとか持ち主に返してあげたいよ。」

瓦礫除去中に、山のように積み上げた瓦礫の山を見てボランティアさんが
「津波の威力も凄いけど。人の力もバカにできんよ。」


お邪魔したお宅で、手伝いに来ていたご親戚の方が休憩中に
「腹一杯食べて、精一杯頑張ろう!」

支援物資を手渡した老夫婦が
「野菜は本当に助かるねぇ。」

被災された方が、仲間同士で仮設住宅の申し込みの話になったときに
仮設って言ったってね・・・。電気代や水道代は(自宅と合わせて)2件分払うことになるんでしょ・・。それは負担になるからねぇ」

福島県内から参加しているボランティアさんが
「全国の人がこうやって福島を応援して集まってくれているのは本当にありがたい。これからは地元の自分たちも頑張らんと。」

津波に浸かり、泥だけになった田んぼに生えているネギのことを家主さんに尋ねたら
「そのネギは、津波前から生えてるやつよ。強いもんさ。」

ボランティア活動を行っている横で、捜索活動を行っている自衛隊の人にお疲れさまですと声をかけたとき
「(無言で敬礼)」

毎日父親と一緒にボラセンにやってくる女性が
「親子揃ってボランティアなんて、ちょっと照れくさいんですけどね・・・。」

作業していたボランティアさんが
「一人で来たって、大したことないけれど、やらんよりはいいでしょ。」

一緒に活動したボランティアさんが
「婆ちゃんの家が20km圏内にあるんです。生きている間に、自宅に帰らせてあげたいなぁと思ってんですけどね。」

Thursday, May 19, 2011

南相馬 原町ボランティアセンターでの活動(下)

さて、原町ボランティアセンターですが、南相馬市役所から徒歩7-8分ほど北へ行った原町福祉会館にあります。

まず、GW時のボランティアの活動の流れですが、まずは受付について、書きたいと思います。(現在は変更の可能性大)
受付は9時から開始。活動は午後4時に終了します。南相馬でのボランティアが初めての方と2回以上活動されている方に別れて並びます。GWだったので、8時半くらいになると、玄関前に長い列ができていました。
雨が心配された二日目はテントが用意され、皆さん協力して並んでいました。
初めての方は、受付にて受付票住所氏名連絡先、そしてボラ保険の有無を記入、そして、名札を自筆記入してオリエンテーションに進みます。
2回目の人も同じく受付票、名札を記入しますが、オリエンテーションがないため、すぐに作業の選択に入ります。

さて、オリエンテーションですが、ボランティア活動をするに当たっての注意事項について職員さん(地元社協の職員さん)より説明があります。
南相馬は原発事故の影響も受けていますが、ここに来ているボランティアは、放射能のこととか重々承知の上できているはずということで、最初に触れただけで、あえて詳しい説明はありません。
むしろ、その被災地の複雑な地域性(地震・津波・原発事故・そして風評被害)や、福島県浜通りならではの市民気質を理解し、被災者の気持ちを考えた節度のある行動をとっていただきたいこと、そして、くれぐれも怪我のないように活動することと注意事項を伝えられます。特に活動中の撮影については禁止(瓦礫処理の依頼元である被災者の家などをブログにアップなどもってのほか)、被災者の心情に配慮することについて、口酸っぱく言われました。ボクの記事に、活動時間内の写真がないのは、そのためです。


さて、初回オリエンテーションが終わると、いよいよ各作業の選択です。
2回目以降の人はオリエンテーションがありませんので、すぐにこの作業を選ぶことになります。
作業内容については、前回書いたとおりですが、あらかじめ自分の名前を付箋に書き、掲示板に掲示指定ある作業内容(ニーズシート)の中から選び、貼り付けていきます。
それぞれ求められている人数が集まり次第、ニーズシートが剥がされ、名前を呼ばれて集合となります。
集合後、チーム、班分けをし、各リーダーを選出し、各リーダーのもと、移動方法の確認(ほとんどが現地へ自家用車で分乗)、必要資材の貸し出し手続き(主に瓦礫・泥だし)を行い、出発となります。
各リーダーは、その作業の経験のある方、同じお宅に訪問する場合、そのお宅に行ったことがある方が自然とリーダーとなります。リーダーは安全確認、点呼、そして帰還後の報告を行わなくてはなりませんが、皆さん前向きな方ばかりなので、自ら進んでリーダーになったり、積極的にリーダーをサポートしたりしてます。

帰還後は、貸し出してもらった資材を洗浄し、数を確認して返却します。
そして、人数と作業結果をリーダーがボランティアセンターに報告して、終了となります。
瓦礫・泥出し班として参加された皆さんは、一日の労をお互い労い、記念写真(ボラセンの前で)を撮っている人たちもいます。

さて、この原町ボランティアセンターですが、GW前は、作業が限られていたこともあり一日100人に満たないことがほとんどでした。市民がまだ戻ってなく、屋外活動が制限(屋内待避区域だったため)されていたことが理由ですが、原発事故の影響も多分にあるとおもいます。

ところが、GWに入ると、市民の方が居住地に戻って来、それにともない、瓦礫・泥出しの依頼が増えてきました。
また、連休に入ったため、ボランティアの数も100人どころか、200人、300人とボランティアが訪れてきました。最高は5/4の401名。入口には長蛇の列ができました。
宮城や岩手の多くのボランティアセンターが混乱を避けるため、連休は新規のボランティアの受け入れを停止する措置を執ったのですが、ここ南相馬では新規の方をどんどんと受け入れていました。
それでも、最高400人。GW前の石巻災害ボランティアセンターが1500人/日を突破したと聞いていますので、まだ1/3にも満たない状況でした。


さて、ボランティアセンターも急に人が増えたため、毎日色々な対策を練らなくてはなりません。
最初はかなり手間取っていて、ボランティアの間からも不満の声が出ていたようですが、日々改善されていたようです。
ボランティアセンターは、朝長蛇の列ができるのですが、テントを張ったり、新規の人と2回目の人を分け、なるべくスムーズに作業に入れるように、日々工夫していたように思われます。
当初、全部事項記入だった2回目のボランティアも、県内・県外の区別だけの記入を受付前に記入用紙を回して記入させていたこと。
作業ニーズに貼り付ける付箋紙に電話番号を書かせたこと。
新規のオリエンテーションを別室で行ったこと(多すぎるため)
集まったものからどんどんと作業へ行かせたことなど・・・。
できるだけ無駄がないよう、おそらく夜遅くまでスタッフによる反省会が開かれていたのでしょう。お疲れさまです。

このスタッフですが、地元の社会福祉協議会のスタッフに加え、全国社会福祉協議会からの依頼で派遣された、全国からの社会福祉協議会スタッフが担っていました。
ボクの知るだけで、宮崎市、山武市(千葉らしい)、そして杉並区(南相馬と提携しているらしい)からのスタッフが働いていました。
そして、多くのボランティアもスタッフとして活動していました。いわゆるボランティアセンターのマネジメントをするボランティアです。こちらは継続性から地元のボランティアが多いようでした。
具体的には、総務や受付、ニーズ班(ボランティアの振り分け)、資材班、駐車場整理などです。
最初の振り分けの時に、スタッフの手伝いをするボランティア、できるだけ長期できる方を募集していたのですが、資材係や駐車場係などは重要ではあるものの、地味(失礼)な作業であり、遠方から来たボク達のようなボランティアからは、あまり就きたくない内容と思われていたようです。
また、作業の効率性から、同じ人間が数日に渡り同じ内容の作業を行った方が良いと思われるのですが、比較的自由に選ばせており、一部関わった人だけが同じ活動から「抜けられない」状況だったようで、毎日違う活動を選んでいたボクにとっては自省の意味も込めて、このあたり、運営について改善が必要なのかなぁと思われました。
ほかにも、ボランティアでも「?」と思われる方も目に付くことがありましたが、他所様のブログをお借りして批判的なことを書いてもいけないので、割愛させていただきます。

連休後、がたっと人数が減るかなと思いきや、意外と人数をキープしているようです。
ボランティアセンターもツイッターで情報を発信したり、ブログで翌日のニーズを公表したりと、色々工夫をしてボランティアを集めているようで、当初心配していたボランティアの激減とニーズの激増のアンマッチに苦しむということにはなっていないようです。

ただ、ボランティアはまだまだ足りているという状況ではありません。
市民の人の南相馬へ戻る動きが遅く、原発事故の結果に常に右往左往しなくてはならないため、元通りになるためのスピードはかなり遅いのではないかと思います。
これから、時間をかけた支援が必要になりますので、関心のある方は是非足を運んで下さい。


南相馬ボランティアセンターの帽子。
GW前から個数限定で配布されたもの。
当初ボランティアセンターでは在庫配布終了でしたが、活動場所の物資仕分け場所に大量にあって、市の職員さんがどうぞどうぞと言って配ってくれました。
これをもらって、俄然やる気が出たボランティアさん、多数です。
ボクもです(笑)
希望者が多く、鋭意制作中だそうですが、先日追加分が届いたそうです。
皆さん、この帽子をかぶって頑張りましょう。

Tuesday, May 17, 2011

南相馬 原町ボランティアセンターでの活動(上)


市内のお店に張り出されたチラシ


選択範囲の書式を削除
ボラセンの玄関の貼り紙

さて、GW中にメールにて寄稿した内容と重複するかもしれませんが、南相馬市での活動について、記したいと思います。

一つは原町区(旧原町市)にある原町ボランティアセンター
もうひとつは、鹿島区(旧鹿島町にある鹿島ボランティアセンターです。

どうして一つの町に2つのボラセンが・・・と思いましたが、どうやら市町村合併前の旧市町の枠組みをそのまま当てはめているようです。
本来であれば、ここに旧小高町の小高区ボランティアセンターというのも名を連ねたかもしれませんが、小高区は南相馬市の一番南に位置し、全域が原発事故による警戒区域(立ち入り禁止)に設定されてしまったため、現在は2つのみです。
本来、一つの自治体なのでまとめたほうが効率的には良いように思えますが、何度も書いたとおり原発事故の影響で、活動内容に制限があった時期があり、かえって地域によってきめ細かい対応ができたのではという考え方もあります。

さて、原町ボランティアセンターでの活動内容ですが、他の地区と同じように以下のようなものがありました。(5/4時点)

・泥だし、瓦礫処理
・遺留品洗浄、遺留品展示
・支援物資仕分け
・避難所運営補助
・託児所運営・運営補助
・ボランティアセンター内務(駐車場整理・道具、支援物資管理、貸し出し)
etc・・・

このうち、ボクが参加したものについて、その内容を簡単に書いていきます。

<泥だし、瓦礫処理>
まぁ、災害ボランティアというとこれがまず思いつくでしょう。
被災されたお宅へ訪問して、家屋に入り込んだ泥、残留物を撤去しきれいに後かたづけ等をする作業です。
2日ほどこれに参加しましたが、作業内容は依頼世帯により異なりました。
大きな農家のお宅では、敷地が広く2-30人がかりで、大きなお屋敷や離れ、農機具小屋などを清掃するというものです。大型農機具などもあり、他所から流れ着いたものも人数をかけて持ち上げて外に出さねばならず、チームワークを要します。1日では終わらないケースが多いようです。
また、床板を剥がさず(剥がせず)に縁の下に入り込んだ家主さんをサポートして泥をかき出すという作業も行いました。これは人数はそれほど必要としませんが、全身泥まみれになり、かなり腰にきます。
基本、マスク、長靴は絶対必要(ボラセンに配備されていたが自前の方がよい)、カッパも必需品です。場合によってはヘルメットも必要と感じました。
作業の持ち物や服装については、こちらのファイルが参考になります。

活動場所までは基本、自家用車で移動です。
基本、乗り合わせで行きますが、敷地が広大な場合、各自移動ということもあります。
道具はボラセンに配備されていますが、数に限りがあります。泥出し班が多いときには一輪車が足りないこともあります。自前の道具を持ってくる人もいらっしゃいます。
借りた道具は、派遣先で軽く洗浄した上、ボランティアセンターできれいに洗浄して数を確認し返却します。
活動場所は、海に近い地区がほとんどで、行方不明者捜索任務中の自衛隊の車と隣り合わせで作業ということもざらです。

<遺留品洗浄>
自衛隊が被災地の泥や瓦礫の中から集めてきた遺留品を持ち主にお返しするためにきれいに洗浄する作業です。
遺留品とは写真やアルバム、賞状など、人間が生きてきた証となる思い出のものです。
遺留品の中には、個人情報があるものも混ざっており、当然守秘義務が課せられます。
かなりの根気と慎重さがもとめられます。そして、精神力にかなり辛い作業です・・・。ボクは、作業中2度ほど感情が込み上げて、涙がでてきました。手を動かしながらも世間話をしながら・・でないとちょっと・・・といった感じです。
また、かなり汚れるので、長靴とかはあったほうがいいです。また、うがい手洗いなど必須です。
活動場所までは徒歩でしたが、どうも手狭なため翌日に場所を移したようです。

<支援物資仕分け>
体育館などの集積所に山のように積まれた支援物資を、配布用に仕分けする作業でした。
支援物資は、全国の自治体や各種団体から送られたインスタント食品、マスク、タオル、消毒液、缶詰、飲み物等です。
期限内に大量の物資を仕分けしなくてはならないため、効率性、そしてスピードが求められました。
それぞれ、仕分け用の袋を持って回る人、各物資を担当し、段ボール箱を開けて並べて袋に入れる人、開いた段ボールを片づける人など、役割分担を自分たちで決めて、作業を行いました。
まだやり方が完全に確立していなかったので、ボランティア自身が知恵を凝らし、工夫しながら作業をした印象があります。
また、箱を開けてみないと中に何が入っているかわからないものや、仕様が画一的でなくて苦労した面もありました。
仕分け場所までは自家用車の乗り合わせで行きました。

<託児>
名前のごとく、託児所の運営です。
託児と言っても、こどもを預かる保育園のようなものではなく、親と一緒に遊びに来た子供たちを相手したり、親御さんの話し相手になったりという感じでした。
原町区のほとんどは原発30キロ圏内のため、放射能を心配して親は子どもたちをあまり外で遊ばせません。小中学校も30キロ圏外の鹿島区にある学校へバスで通っています。
そのため、子供たちは相当ストレスが溜まっています。
思いっきり外を駆けずりまわりたいだろうに・・・と考えると、せめてこの中では身体を動かして遊んで欲しい・・・考えずには居られません。まぁ、そんな子ども達が怪我をしないように見守りながら相手してあげるのがここの託児業務かと思いますが。
対象は、ボクが行っていた託児所は2歳~小4くらいまでの子どもが遊びに来ていました。
結構設備が整っていた(元々いわゆる街中にある託児所だった)ので、ピアノ、屋内型ジャングルジム、ゲーム機、ぬいぐるみなど、これでもかというくらい揃っていました。
ピアノは少しだけなら弾けるので、弾いて歌ったら子どもが喜んでくれました。ちょっとした特技が役に立った気がし、嬉しかったです。保育士さんや学校の先生の資格なんかあるといいのではないかと思います。

以上が、ボクが参加した活動です。
なかなか核心に触れられないところもありますが、ちょっとアンタッチャブルな域もあるので、こんなところで・・・。

南相馬でのボランティアに参加される方については、事前に南相馬ボランティアセンターのサイト
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/
をチェックし、くれぐれも自己責任での参加をお願いします。

なお、南相馬市へは、仙台から1日に夕方の一本しかバスがなく、自家用車がない方にとっては、まさに陸の孤島でした。
5/16になってようやく福島駅から相馬経由で南相馬までのバスが走るようになりました。バスは鹿島区を経由して南相馬市役所が終点で、原町ボラセンはここから徒歩7-8分ほどです。これで、少しはボランティアに参加しやすくなるのではないかと思います。
このバスが開設されたことにより、朝6時半福島発のバスに乗ればボランティア受付時刻の9時前に到着でき、帰りは南相馬発17:10または、18:30のバスに乗れば、福島へその日のうちに辿り着くことができ、公共交通機関を利用した福島からの日帰りボランティアや、同日内の首都圏・関西圏への帰着が可能になります。
なお今後、時刻に変更が生じる場合がありますので、かならず最新のものをご確認ください。
自家用車の場合は、福島市から県道12号か少し遠回りになりますが国道115号で相馬市を経由して入れます。なお県道12号は、計画的避難地域に指定された飯舘村(5月末までに全村民が村外へ避難する地域)を経由しますので、今後の情報に注意が必要です。
宿泊についても南相馬ボランティアセンターのブログに記載がありますので、ご覧ください。

次回は、ボラセンでの受付や注意事項、そしてグループ作業などについて、感じたことも含めて書きたいと思います。