Tuesday, May 17, 2011

南相馬 原町ボランティアセンターでの活動(上)


市内のお店に張り出されたチラシ


選択範囲の書式を削除
ボラセンの玄関の貼り紙

さて、GW中にメールにて寄稿した内容と重複するかもしれませんが、南相馬市での活動について、記したいと思います。

一つは原町区(旧原町市)にある原町ボランティアセンター
もうひとつは、鹿島区(旧鹿島町にある鹿島ボランティアセンターです。

どうして一つの町に2つのボラセンが・・・と思いましたが、どうやら市町村合併前の旧市町の枠組みをそのまま当てはめているようです。
本来であれば、ここに旧小高町の小高区ボランティアセンターというのも名を連ねたかもしれませんが、小高区は南相馬市の一番南に位置し、全域が原発事故による警戒区域(立ち入り禁止)に設定されてしまったため、現在は2つのみです。
本来、一つの自治体なのでまとめたほうが効率的には良いように思えますが、何度も書いたとおり原発事故の影響で、活動内容に制限があった時期があり、かえって地域によってきめ細かい対応ができたのではという考え方もあります。

さて、原町ボランティアセンターでの活動内容ですが、他の地区と同じように以下のようなものがありました。(5/4時点)

・泥だし、瓦礫処理
・遺留品洗浄、遺留品展示
・支援物資仕分け
・避難所運営補助
・託児所運営・運営補助
・ボランティアセンター内務(駐車場整理・道具、支援物資管理、貸し出し)
etc・・・

このうち、ボクが参加したものについて、その内容を簡単に書いていきます。

<泥だし、瓦礫処理>
まぁ、災害ボランティアというとこれがまず思いつくでしょう。
被災されたお宅へ訪問して、家屋に入り込んだ泥、残留物を撤去しきれいに後かたづけ等をする作業です。
2日ほどこれに参加しましたが、作業内容は依頼世帯により異なりました。
大きな農家のお宅では、敷地が広く2-30人がかりで、大きなお屋敷や離れ、農機具小屋などを清掃するというものです。大型農機具などもあり、他所から流れ着いたものも人数をかけて持ち上げて外に出さねばならず、チームワークを要します。1日では終わらないケースが多いようです。
また、床板を剥がさず(剥がせず)に縁の下に入り込んだ家主さんをサポートして泥をかき出すという作業も行いました。これは人数はそれほど必要としませんが、全身泥まみれになり、かなり腰にきます。
基本、マスク、長靴は絶対必要(ボラセンに配備されていたが自前の方がよい)、カッパも必需品です。場合によってはヘルメットも必要と感じました。
作業の持ち物や服装については、こちらのファイルが参考になります。

活動場所までは基本、自家用車で移動です。
基本、乗り合わせで行きますが、敷地が広大な場合、各自移動ということもあります。
道具はボラセンに配備されていますが、数に限りがあります。泥出し班が多いときには一輪車が足りないこともあります。自前の道具を持ってくる人もいらっしゃいます。
借りた道具は、派遣先で軽く洗浄した上、ボランティアセンターできれいに洗浄して数を確認し返却します。
活動場所は、海に近い地区がほとんどで、行方不明者捜索任務中の自衛隊の車と隣り合わせで作業ということもざらです。

<遺留品洗浄>
自衛隊が被災地の泥や瓦礫の中から集めてきた遺留品を持ち主にお返しするためにきれいに洗浄する作業です。
遺留品とは写真やアルバム、賞状など、人間が生きてきた証となる思い出のものです。
遺留品の中には、個人情報があるものも混ざっており、当然守秘義務が課せられます。
かなりの根気と慎重さがもとめられます。そして、精神力にかなり辛い作業です・・・。ボクは、作業中2度ほど感情が込み上げて、涙がでてきました。手を動かしながらも世間話をしながら・・でないとちょっと・・・といった感じです。
また、かなり汚れるので、長靴とかはあったほうがいいです。また、うがい手洗いなど必須です。
活動場所までは徒歩でしたが、どうも手狭なため翌日に場所を移したようです。

<支援物資仕分け>
体育館などの集積所に山のように積まれた支援物資を、配布用に仕分けする作業でした。
支援物資は、全国の自治体や各種団体から送られたインスタント食品、マスク、タオル、消毒液、缶詰、飲み物等です。
期限内に大量の物資を仕分けしなくてはならないため、効率性、そしてスピードが求められました。
それぞれ、仕分け用の袋を持って回る人、各物資を担当し、段ボール箱を開けて並べて袋に入れる人、開いた段ボールを片づける人など、役割分担を自分たちで決めて、作業を行いました。
まだやり方が完全に確立していなかったので、ボランティア自身が知恵を凝らし、工夫しながら作業をした印象があります。
また、箱を開けてみないと中に何が入っているかわからないものや、仕様が画一的でなくて苦労した面もありました。
仕分け場所までは自家用車の乗り合わせで行きました。

<託児>
名前のごとく、託児所の運営です。
託児と言っても、こどもを預かる保育園のようなものではなく、親と一緒に遊びに来た子供たちを相手したり、親御さんの話し相手になったりという感じでした。
原町区のほとんどは原発30キロ圏内のため、放射能を心配して親は子どもたちをあまり外で遊ばせません。小中学校も30キロ圏外の鹿島区にある学校へバスで通っています。
そのため、子供たちは相当ストレスが溜まっています。
思いっきり外を駆けずりまわりたいだろうに・・・と考えると、せめてこの中では身体を動かして遊んで欲しい・・・考えずには居られません。まぁ、そんな子ども達が怪我をしないように見守りながら相手してあげるのがここの託児業務かと思いますが。
対象は、ボクが行っていた託児所は2歳~小4くらいまでの子どもが遊びに来ていました。
結構設備が整っていた(元々いわゆる街中にある託児所だった)ので、ピアノ、屋内型ジャングルジム、ゲーム機、ぬいぐるみなど、これでもかというくらい揃っていました。
ピアノは少しだけなら弾けるので、弾いて歌ったら子どもが喜んでくれました。ちょっとした特技が役に立った気がし、嬉しかったです。保育士さんや学校の先生の資格なんかあるといいのではないかと思います。

以上が、ボクが参加した活動です。
なかなか核心に触れられないところもありますが、ちょっとアンタッチャブルな域もあるので、こんなところで・・・。

南相馬でのボランティアに参加される方については、事前に南相馬ボランティアセンターのサイト
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/
をチェックし、くれぐれも自己責任での参加をお願いします。

なお、南相馬市へは、仙台から1日に夕方の一本しかバスがなく、自家用車がない方にとっては、まさに陸の孤島でした。
5/16になってようやく福島駅から相馬経由で南相馬までのバスが走るようになりました。バスは鹿島区を経由して南相馬市役所が終点で、原町ボラセンはここから徒歩7-8分ほどです。これで、少しはボランティアに参加しやすくなるのではないかと思います。
このバスが開設されたことにより、朝6時半福島発のバスに乗ればボランティア受付時刻の9時前に到着でき、帰りは南相馬発17:10または、18:30のバスに乗れば、福島へその日のうちに辿り着くことができ、公共交通機関を利用した福島からの日帰りボランティアや、同日内の首都圏・関西圏への帰着が可能になります。
なお今後、時刻に変更が生じる場合がありますので、かならず最新のものをご確認ください。
自家用車の場合は、福島市から県道12号か少し遠回りになりますが国道115号で相馬市を経由して入れます。なお県道12号は、計画的避難地域に指定された飯舘村(5月末までに全村民が村外へ避難する地域)を経由しますので、今後の情報に注意が必要です。
宿泊についても南相馬ボランティアセンターのブログに記載がありますので、ご覧ください。

次回は、ボラセンでの受付や注意事項、そしてグループ作業などについて、感じたことも含めて書きたいと思います。

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