Monday, May 23, 2011

南相馬で出会ったことば



5日間の短い活動の中で、市民、ボランティアなど沢山の方々に会い、僅かながらですが、色んな声を聞きました。

そんな中で、印象に残ったものをいくつか紹介して南相馬市原町ボランティアセンターでの活動報告とさせていただきます。


託児所にやって来た子ども連れのお母さん。
「旦那がね、原発行ってんの。危ないけど、このままだと子どもたちが可哀想だからってね。」

毎日ボランティアをやっている地元の高校生
「(原発事故のため高校が休校扱いになって)自分の通ってた高校は、私立なんで、仕方なく通信に編入しました。だけど、通信高校では目指していた工業科の色んな資格は取れんっす。」

託児所にやってきたお母さん
「本当は、外で思いっきり遊ばせたいんだけどね・・。外はやっぱりアレだから・・・。」

ボラセンの職員さんがオリエンテーションで
「ボランティアさんの活動は、被災された方のあくまで側面的支援です。」

泥出しを行った家のご主人が帰り際に笑いながら
「あと、2年くらいしたら、是非遊びに来てやって下さい。多分、それまでには綺麗になっているでしょうから。」

遺留品洗浄をやりながら泣きそうになっているボクを見た他のボランティアさんが
「考えちゃダメだ。考えると誰だって泣きたくなるから。」

泥出しを行った家の家主さんが、海を指さし、
「ここから海が見えることがなかった。ここから海まで2キロ離れているけど、ここから先の集落は全滅さぁ。

遺留品洗浄の現場でボランティアさんが
「人が幸せに生きてきた証だもんな。なんとか持ち主に返してあげたいよ。」

瓦礫除去中に、山のように積み上げた瓦礫の山を見てボランティアさんが
「津波の威力も凄いけど。人の力もバカにできんよ。」


お邪魔したお宅で、手伝いに来ていたご親戚の方が休憩中に
「腹一杯食べて、精一杯頑張ろう!」

支援物資を手渡した老夫婦が
「野菜は本当に助かるねぇ。」

被災された方が、仲間同士で仮設住宅の申し込みの話になったときに
仮設って言ったってね・・・。電気代や水道代は(自宅と合わせて)2件分払うことになるんでしょ・・。それは負担になるからねぇ」

福島県内から参加しているボランティアさんが
「全国の人がこうやって福島を応援して集まってくれているのは本当にありがたい。これからは地元の自分たちも頑張らんと。」

津波に浸かり、泥だけになった田んぼに生えているネギのことを家主さんに尋ねたら
「そのネギは、津波前から生えてるやつよ。強いもんさ。」

ボランティア活動を行っている横で、捜索活動を行っている自衛隊の人にお疲れさまですと声をかけたとき
「(無言で敬礼)」

毎日父親と一緒にボラセンにやってくる女性が
「親子揃ってボランティアなんて、ちょっと照れくさいんですけどね・・・。」

作業していたボランティアさんが
「一人で来たって、大したことないけれど、やらんよりはいいでしょ。」

一緒に活動したボランティアさんが
「婆ちゃんの家が20km圏内にあるんです。生きている間に、自宅に帰らせてあげたいなぁと思ってんですけどね。」

Thursday, May 19, 2011

南相馬 原町ボランティアセンターでの活動(下)

さて、原町ボランティアセンターですが、南相馬市役所から徒歩7-8分ほど北へ行った原町福祉会館にあります。

まず、GW時のボランティアの活動の流れですが、まずは受付について、書きたいと思います。(現在は変更の可能性大)
受付は9時から開始。活動は午後4時に終了します。南相馬でのボランティアが初めての方と2回以上活動されている方に別れて並びます。GWだったので、8時半くらいになると、玄関前に長い列ができていました。
雨が心配された二日目はテントが用意され、皆さん協力して並んでいました。
初めての方は、受付にて受付票住所氏名連絡先、そしてボラ保険の有無を記入、そして、名札を自筆記入してオリエンテーションに進みます。
2回目の人も同じく受付票、名札を記入しますが、オリエンテーションがないため、すぐに作業の選択に入ります。

さて、オリエンテーションですが、ボランティア活動をするに当たっての注意事項について職員さん(地元社協の職員さん)より説明があります。
南相馬は原発事故の影響も受けていますが、ここに来ているボランティアは、放射能のこととか重々承知の上できているはずということで、最初に触れただけで、あえて詳しい説明はありません。
むしろ、その被災地の複雑な地域性(地震・津波・原発事故・そして風評被害)や、福島県浜通りならではの市民気質を理解し、被災者の気持ちを考えた節度のある行動をとっていただきたいこと、そして、くれぐれも怪我のないように活動することと注意事項を伝えられます。特に活動中の撮影については禁止(瓦礫処理の依頼元である被災者の家などをブログにアップなどもってのほか)、被災者の心情に配慮することについて、口酸っぱく言われました。ボクの記事に、活動時間内の写真がないのは、そのためです。


さて、初回オリエンテーションが終わると、いよいよ各作業の選択です。
2回目以降の人はオリエンテーションがありませんので、すぐにこの作業を選ぶことになります。
作業内容については、前回書いたとおりですが、あらかじめ自分の名前を付箋に書き、掲示板に掲示指定ある作業内容(ニーズシート)の中から選び、貼り付けていきます。
それぞれ求められている人数が集まり次第、ニーズシートが剥がされ、名前を呼ばれて集合となります。
集合後、チーム、班分けをし、各リーダーを選出し、各リーダーのもと、移動方法の確認(ほとんどが現地へ自家用車で分乗)、必要資材の貸し出し手続き(主に瓦礫・泥だし)を行い、出発となります。
各リーダーは、その作業の経験のある方、同じお宅に訪問する場合、そのお宅に行ったことがある方が自然とリーダーとなります。リーダーは安全確認、点呼、そして帰還後の報告を行わなくてはなりませんが、皆さん前向きな方ばかりなので、自ら進んでリーダーになったり、積極的にリーダーをサポートしたりしてます。

帰還後は、貸し出してもらった資材を洗浄し、数を確認して返却します。
そして、人数と作業結果をリーダーがボランティアセンターに報告して、終了となります。
瓦礫・泥出し班として参加された皆さんは、一日の労をお互い労い、記念写真(ボラセンの前で)を撮っている人たちもいます。

さて、この原町ボランティアセンターですが、GW前は、作業が限られていたこともあり一日100人に満たないことがほとんどでした。市民がまだ戻ってなく、屋外活動が制限(屋内待避区域だったため)されていたことが理由ですが、原発事故の影響も多分にあるとおもいます。

ところが、GWに入ると、市民の方が居住地に戻って来、それにともない、瓦礫・泥出しの依頼が増えてきました。
また、連休に入ったため、ボランティアの数も100人どころか、200人、300人とボランティアが訪れてきました。最高は5/4の401名。入口には長蛇の列ができました。
宮城や岩手の多くのボランティアセンターが混乱を避けるため、連休は新規のボランティアの受け入れを停止する措置を執ったのですが、ここ南相馬では新規の方をどんどんと受け入れていました。
それでも、最高400人。GW前の石巻災害ボランティアセンターが1500人/日を突破したと聞いていますので、まだ1/3にも満たない状況でした。


さて、ボランティアセンターも急に人が増えたため、毎日色々な対策を練らなくてはなりません。
最初はかなり手間取っていて、ボランティアの間からも不満の声が出ていたようですが、日々改善されていたようです。
ボランティアセンターは、朝長蛇の列ができるのですが、テントを張ったり、新規の人と2回目の人を分け、なるべくスムーズに作業に入れるように、日々工夫していたように思われます。
当初、全部事項記入だった2回目のボランティアも、県内・県外の区別だけの記入を受付前に記入用紙を回して記入させていたこと。
作業ニーズに貼り付ける付箋紙に電話番号を書かせたこと。
新規のオリエンテーションを別室で行ったこと(多すぎるため)
集まったものからどんどんと作業へ行かせたことなど・・・。
できるだけ無駄がないよう、おそらく夜遅くまでスタッフによる反省会が開かれていたのでしょう。お疲れさまです。

このスタッフですが、地元の社会福祉協議会のスタッフに加え、全国社会福祉協議会からの依頼で派遣された、全国からの社会福祉協議会スタッフが担っていました。
ボクの知るだけで、宮崎市、山武市(千葉らしい)、そして杉並区(南相馬と提携しているらしい)からのスタッフが働いていました。
そして、多くのボランティアもスタッフとして活動していました。いわゆるボランティアセンターのマネジメントをするボランティアです。こちらは継続性から地元のボランティアが多いようでした。
具体的には、総務や受付、ニーズ班(ボランティアの振り分け)、資材班、駐車場整理などです。
最初の振り分けの時に、スタッフの手伝いをするボランティア、できるだけ長期できる方を募集していたのですが、資材係や駐車場係などは重要ではあるものの、地味(失礼)な作業であり、遠方から来たボク達のようなボランティアからは、あまり就きたくない内容と思われていたようです。
また、作業の効率性から、同じ人間が数日に渡り同じ内容の作業を行った方が良いと思われるのですが、比較的自由に選ばせており、一部関わった人だけが同じ活動から「抜けられない」状況だったようで、毎日違う活動を選んでいたボクにとっては自省の意味も込めて、このあたり、運営について改善が必要なのかなぁと思われました。
ほかにも、ボランティアでも「?」と思われる方も目に付くことがありましたが、他所様のブログをお借りして批判的なことを書いてもいけないので、割愛させていただきます。

連休後、がたっと人数が減るかなと思いきや、意外と人数をキープしているようです。
ボランティアセンターもツイッターで情報を発信したり、ブログで翌日のニーズを公表したりと、色々工夫をしてボランティアを集めているようで、当初心配していたボランティアの激減とニーズの激増のアンマッチに苦しむということにはなっていないようです。

ただ、ボランティアはまだまだ足りているという状況ではありません。
市民の人の南相馬へ戻る動きが遅く、原発事故の結果に常に右往左往しなくてはならないため、元通りになるためのスピードはかなり遅いのではないかと思います。
これから、時間をかけた支援が必要になりますので、関心のある方は是非足を運んで下さい。


南相馬ボランティアセンターの帽子。
GW前から個数限定で配布されたもの。
当初ボランティアセンターでは在庫配布終了でしたが、活動場所の物資仕分け場所に大量にあって、市の職員さんがどうぞどうぞと言って配ってくれました。
これをもらって、俄然やる気が出たボランティアさん、多数です。
ボクもです(笑)
希望者が多く、鋭意制作中だそうですが、先日追加分が届いたそうです。
皆さん、この帽子をかぶって頑張りましょう。

Tuesday, May 17, 2011

南相馬 原町ボランティアセンターでの活動(上)


市内のお店に張り出されたチラシ


選択範囲の書式を削除
ボラセンの玄関の貼り紙

さて、GW中にメールにて寄稿した内容と重複するかもしれませんが、南相馬市での活動について、記したいと思います。

一つは原町区(旧原町市)にある原町ボランティアセンター
もうひとつは、鹿島区(旧鹿島町にある鹿島ボランティアセンターです。

どうして一つの町に2つのボラセンが・・・と思いましたが、どうやら市町村合併前の旧市町の枠組みをそのまま当てはめているようです。
本来であれば、ここに旧小高町の小高区ボランティアセンターというのも名を連ねたかもしれませんが、小高区は南相馬市の一番南に位置し、全域が原発事故による警戒区域(立ち入り禁止)に設定されてしまったため、現在は2つのみです。
本来、一つの自治体なのでまとめたほうが効率的には良いように思えますが、何度も書いたとおり原発事故の影響で、活動内容に制限があった時期があり、かえって地域によってきめ細かい対応ができたのではという考え方もあります。

さて、原町ボランティアセンターでの活動内容ですが、他の地区と同じように以下のようなものがありました。(5/4時点)

・泥だし、瓦礫処理
・遺留品洗浄、遺留品展示
・支援物資仕分け
・避難所運営補助
・託児所運営・運営補助
・ボランティアセンター内務(駐車場整理・道具、支援物資管理、貸し出し)
etc・・・

このうち、ボクが参加したものについて、その内容を簡単に書いていきます。

<泥だし、瓦礫処理>
まぁ、災害ボランティアというとこれがまず思いつくでしょう。
被災されたお宅へ訪問して、家屋に入り込んだ泥、残留物を撤去しきれいに後かたづけ等をする作業です。
2日ほどこれに参加しましたが、作業内容は依頼世帯により異なりました。
大きな農家のお宅では、敷地が広く2-30人がかりで、大きなお屋敷や離れ、農機具小屋などを清掃するというものです。大型農機具などもあり、他所から流れ着いたものも人数をかけて持ち上げて外に出さねばならず、チームワークを要します。1日では終わらないケースが多いようです。
また、床板を剥がさず(剥がせず)に縁の下に入り込んだ家主さんをサポートして泥をかき出すという作業も行いました。これは人数はそれほど必要としませんが、全身泥まみれになり、かなり腰にきます。
基本、マスク、長靴は絶対必要(ボラセンに配備されていたが自前の方がよい)、カッパも必需品です。場合によってはヘルメットも必要と感じました。
作業の持ち物や服装については、こちらのファイルが参考になります。

活動場所までは基本、自家用車で移動です。
基本、乗り合わせで行きますが、敷地が広大な場合、各自移動ということもあります。
道具はボラセンに配備されていますが、数に限りがあります。泥出し班が多いときには一輪車が足りないこともあります。自前の道具を持ってくる人もいらっしゃいます。
借りた道具は、派遣先で軽く洗浄した上、ボランティアセンターできれいに洗浄して数を確認し返却します。
活動場所は、海に近い地区がほとんどで、行方不明者捜索任務中の自衛隊の車と隣り合わせで作業ということもざらです。

<遺留品洗浄>
自衛隊が被災地の泥や瓦礫の中から集めてきた遺留品を持ち主にお返しするためにきれいに洗浄する作業です。
遺留品とは写真やアルバム、賞状など、人間が生きてきた証となる思い出のものです。
遺留品の中には、個人情報があるものも混ざっており、当然守秘義務が課せられます。
かなりの根気と慎重さがもとめられます。そして、精神力にかなり辛い作業です・・・。ボクは、作業中2度ほど感情が込み上げて、涙がでてきました。手を動かしながらも世間話をしながら・・でないとちょっと・・・といった感じです。
また、かなり汚れるので、長靴とかはあったほうがいいです。また、うがい手洗いなど必須です。
活動場所までは徒歩でしたが、どうも手狭なため翌日に場所を移したようです。

<支援物資仕分け>
体育館などの集積所に山のように積まれた支援物資を、配布用に仕分けする作業でした。
支援物資は、全国の自治体や各種団体から送られたインスタント食品、マスク、タオル、消毒液、缶詰、飲み物等です。
期限内に大量の物資を仕分けしなくてはならないため、効率性、そしてスピードが求められました。
それぞれ、仕分け用の袋を持って回る人、各物資を担当し、段ボール箱を開けて並べて袋に入れる人、開いた段ボールを片づける人など、役割分担を自分たちで決めて、作業を行いました。
まだやり方が完全に確立していなかったので、ボランティア自身が知恵を凝らし、工夫しながら作業をした印象があります。
また、箱を開けてみないと中に何が入っているかわからないものや、仕様が画一的でなくて苦労した面もありました。
仕分け場所までは自家用車の乗り合わせで行きました。

<託児>
名前のごとく、託児所の運営です。
託児と言っても、こどもを預かる保育園のようなものではなく、親と一緒に遊びに来た子供たちを相手したり、親御さんの話し相手になったりという感じでした。
原町区のほとんどは原発30キロ圏内のため、放射能を心配して親は子どもたちをあまり外で遊ばせません。小中学校も30キロ圏外の鹿島区にある学校へバスで通っています。
そのため、子供たちは相当ストレスが溜まっています。
思いっきり外を駆けずりまわりたいだろうに・・・と考えると、せめてこの中では身体を動かして遊んで欲しい・・・考えずには居られません。まぁ、そんな子ども達が怪我をしないように見守りながら相手してあげるのがここの託児業務かと思いますが。
対象は、ボクが行っていた託児所は2歳~小4くらいまでの子どもが遊びに来ていました。
結構設備が整っていた(元々いわゆる街中にある託児所だった)ので、ピアノ、屋内型ジャングルジム、ゲーム機、ぬいぐるみなど、これでもかというくらい揃っていました。
ピアノは少しだけなら弾けるので、弾いて歌ったら子どもが喜んでくれました。ちょっとした特技が役に立った気がし、嬉しかったです。保育士さんや学校の先生の資格なんかあるといいのではないかと思います。

以上が、ボクが参加した活動です。
なかなか核心に触れられないところもありますが、ちょっとアンタッチャブルな域もあるので、こんなところで・・・。

南相馬でのボランティアに参加される方については、事前に南相馬ボランティアセンターのサイト
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/
をチェックし、くれぐれも自己責任での参加をお願いします。

なお、南相馬市へは、仙台から1日に夕方の一本しかバスがなく、自家用車がない方にとっては、まさに陸の孤島でした。
5/16になってようやく福島駅から相馬経由で南相馬までのバスが走るようになりました。バスは鹿島区を経由して南相馬市役所が終点で、原町ボラセンはここから徒歩7-8分ほどです。これで、少しはボランティアに参加しやすくなるのではないかと思います。
このバスが開設されたことにより、朝6時半福島発のバスに乗ればボランティア受付時刻の9時前に到着でき、帰りは南相馬発17:10または、18:30のバスに乗れば、福島へその日のうちに辿り着くことができ、公共交通機関を利用した福島からの日帰りボランティアや、同日内の首都圏・関西圏への帰着が可能になります。
なお今後、時刻に変更が生じる場合がありますので、かならず最新のものをご確認ください。
自家用車の場合は、福島市から県道12号か少し遠回りになりますが国道115号で相馬市を経由して入れます。なお県道12号は、計画的避難地域に指定された飯舘村(5月末までに全村民が村外へ避難する地域)を経由しますので、今後の情報に注意が必要です。
宿泊についても南相馬ボランティアセンターのブログに記載がありますので、ご覧ください。

次回は、ボラセンでの受付や注意事項、そしてグループ作業などについて、感じたことも含めて書きたいと思います。

Friday, May 13, 2011

南相馬市民 生の声 毎日配信中

USTREAM いっとこ/南相馬チャンネルで南相馬市民の生の声を毎日配信しています。

イオン南相馬ジャスモールから生中継です。
マスコミでは絶対に流れない、市民の本音の声です。
子どもたち、親子連れ、そしてボランティアも時々出演しています。
南相馬で頑張って生活している人たちの声をぜひとも聞いて下さい!

Thursday, May 12, 2011

相馬野馬追 ~南相馬原町~


相馬と言えば相馬野馬追という1000年も続く神事が有名だそうです。
(すみません。名前は知ってましたが詳しくは知りませんでした。)
国の重要無形文化財に指定され、毎年7月23・24・25日に行われ、大勢の観光客で賑わうそうです。
ところが、今回の震災と原発事故で、その開催に黄信号がともっています。

この野馬追、その名の通り、馬が活躍するのですが、その数500頭余。
相双地区(相馬・双葉地区の総称)だけでなく、遠方からも馬が参加するのですが、今回の震災でかなりの馬に犠牲が出ているとのこと。

永く続き、地域の誇りである伝統行事が今年開催できるかどうか、今真剣に話し合われています。

そんな中、原発20キロ圏内の南相馬市小高区などに取り残されていた馬が先日28頭、無事助け出され、同市内の馬事公苑に移されたとのことでした。

町の人たちは、なんとかしてこの「野馬追」を開催したいと願っています。
ボクがボランティア活動で接した町の人たちも、是非見に来て下さいとおっしゃいましたし、ボランティアも「野馬追をやるのなら、ボランティアはみんな観に来る」と意気込んでいました。

祭事を行うには、かなり金銭的負担もあり、かなりの困難が伴いますが、この町の誇りといえる伝統行事を何とか絶やすずに続け、地域の再興の足がかりになればと願わずにいられません。

ポスターを買うことでも町の人を元気づけることができるはずです。
ご関心のある方は是非、ご購入していただき、被災地南相馬を励ましてください。



商店街に掲げられた野馬追旗
普段この時期には掲げられないと地元のボランティアが言っていた。
原発事故や津波に負けないという原町の人の意気込みの表れかと思います。


原町の南にある野馬追祭場地
競馬場のような広大な敷地 特に被災した様子はない。
7月はここが大勢の観覧客と馬たちで埋まることを願います。

Monday, May 9, 2011

希望のこいのぼり 南相馬市原町区















瓦礫野原になってしまった南相馬市原町区の海岸地域。
そんな中、こどもの日を控え、「こいのぼり」が泳いでいました。
どういう理由で掲げられたかわかりませんが、ボクは「希望のこいのぼり」と名付けました。
大勢の方が亡くなり、いまだに苦しんでいる人がいる中、被災地の子ども達には元気に育ってほしいとの願いが込められていると信じてやみません。

南相馬 原町市内

原町の中心部は、海岸部を除き見た目平穏そのもの。
時折壁が崩れたり屋根にシートがかかっていることはあるモノの、特に大きな障害はないんです。
でも、人が少ない。理由は下に書いたとおり。

それでも連休に入った後、人は戻ってきています。
地元資本のスーパーがGW入ってすぐに、そしてヨークベニマルが5/4に
さらにイオンショッピングセンターが5/6に再開店しました。

コンビニも時間制限でやってます。ホテルも開いています。銭湯もやっています。
レストラン、飲食店も開いているところが増えてきています。
これから人が戻れば、もっと開いているところは増えるでしょう。
















自衛隊の車。こんなに沢山の自衛隊を見たのは初めて。
ほかに車が少なかったから特に目立った。















原町ボランティアセンターに掲げられた生活情報。
開店している店やホテルの情報が掲示されている。



セブンイレブン
セブン-ナインサーティで営業していました。
窓には、「がんばろう 南相馬」の文字が。

















地元スーパーのフレスコ
いち早くオープン(しかし4月末)し、地元の人で賑わっていました。
また、5/6に再開店したイオンショッピングセンターではネットテレビ「いっとこ 南相馬チャンネル」による市民のインタービューも収録されてました。南相馬市民の生の声を聞くことができます。

南相馬の状況 原発事故の影響

自然災害の地震・津波に加えて、原発事故の被害も受けている南相馬市
原発20キロ圏内は警戒区域として立ち入り禁止に
原発20-30キロ圏内は一時は屋内待避となり現在は計画的避難区域・および避難準備区域となっています。また、30キロ圏外でこれらの区域に含まれない地域もあり、市域が見えない「壁」により分断されています。津波被害と闘っている宮城県や岩手県の被災地と異なり、放射能そして風評被害(←これが一番問題)とも闘わなければならないのです。

そのため、一時80%を超える市民が市外に脱出してしまい、ゴーストタウンのようになってしまいました。
4月末になり、半分近く戻ってきましたが、小高区を中心とした原発に近いエリアでは被災しているしていないにかかわらず、未だ自宅に戻ることもできません。
それ以外の地域でも夜になると電気がついていない建物も多く、まだまだ、時間がかかりそうです。
実際にはここ南相馬市の環境放射線計測値は5月当初でおよそ0.5マイクロシーベルト/時
内陸部の福島市や郡山市の1/3程度となっています。これは、空気の流れや地形によるものだそうで福島第一原発からの距離の割に低い値となっています。















国道6号線を原発20㎞境界方面に向かう
車はほとんど走っていない。















国道6号線 20キロ圏内の検問
通常の車は通行禁止
富山県警が警備していた
装備は通常装備















別の道で撮影
手前が20㎞圏外 向こう側が20キロ圏内
手前は見た目普通に暮らしている人がいて、花壇の手入れをしていた。
向こう側は立ち入ることさえできない。
この差はいったい何なのか、考えてしまう。















警戒区域に被災者捜索に向かう自衛隊のバス。
隊員は全員「白装束」





























全村域が計画的避難地域に指定された飯舘村
原町から車で20分くらい
5月末までに村外へ避難しなくてはならない。
「沈黙の春」みたいな村になっちゃうのだろうか・・・。
悔しいだろうな・・・きっと。

南相馬の被災状況

GWに福島県南相馬市でボランティア活動をしてきました。
活動終了後に撮った被災地の写真です。
海岸から遠いところで4キロ近くまで被災しています。















海岸から4キロ近く流された船たち





























海岸近くは壊滅状態
















橋の上に打ち上げられた大木
















ねじ曲げられ倒れている高圧線の鉄塔















海岸線から500メートル以上打ち上げられたテトラポッド
















消防団の消防車輌も被災































無数の車がくしゃくしゃの状態















集められた瓦礫の山 奥は原町火力発電所

Sunday, May 1, 2011

福島県南相馬市ボランティア情報

一昨日より福島県南相馬市に来ています。
他の被災した市町と同様、沿岸部の被害は凄まじいもので、海岸から三キロ以上のところまで津波が押し寄せて船が流されてきており、まっさらになった大地をみて背筋が凍る思いがしました。
しかし、原町(中心部)は時折塀や屋根が崩れているところはあるものの、外見的には支障がないようです。ガス電気水道といったインフラも問題ありません。
大型スーパーもあり緑も多く、すてきな町だなぁと思うのですが、とにかく人が少ないです。
理由は原発事故の影響で市民の多くが市外へ避難していたから。

そういうわけで、夜も暗く、津波被害がない市中心部の民家の明かりも半分くらいしかついていません。
歩いている人も少なめで、自衛隊や警察、そして復興工事やボランティアの他県ナンバーの車が目立っています。
原発が近く、立ち入り制限区域、津波被災地域、通常生活ができる地域などが混在する複雑な地域ですが、放射線量は中通りの郡山市や福島市などよりも低いくらいですが、やはり影響は避けられないようです。
しかしながら4/29からは地元スーパーもオープンし、徐々にではありますが、生活が戻ってきています。
一部コンビニも時間制限でオープンし、ホテルも営業しています。
営業再開するレストランも増えてきて、連休あけには大手系のスーパーも再開します。銭湯や日帰り温泉もオープンしてます。

僕は市内に二つあるボランティアセンターのうちの一つ、南相馬ボランティアセンター(原町区)に登録し活動してます。(もう一つは鹿島区ボランティアセンター)
ゴールデンウイークということもあり1日250名を超えるボランティアの皆さんが集まりました。
1500名を超える石巻などと比較すると、少ないかもしれませんが、市民の多くが市外へ避難していたこともあり、まだニーズが少ないことやつい先日まで原発30キロ圏内で屋内退避指定になり、屋外活動が制限されていたのも理由かと思われます。

現在は屋外活動も開始になり、連休中の混乱を抑えるため新規ボランティア受付を停止している石巻市などと異なり、県外や新規ボランティアも受け入れています。(5/1現在)

活動内容は泥だし、瓦礫の撤去や支援物資の仕分け、遺留品の洗浄、ボランティアセンター運営手伝いなど色々あります。屋内活動もあります。

毎日ボランティアの受付は朝9時から、新規ボランティアは受付、ボランティア保険の有無を確認後、名札を記入し、オリエンテーションを受け、その後ニーズの中から希望する活動内容を選びます。二回目以降は、オリエンテーションはありませんから、早いです。作業によってはセンターで待機することもあります。
活動に必要とされる人数がそろったら、グループをつくり活動場所へ徒歩または乗り合わせで行き、活動します。
作業完了はだいたい午後4時。センターに戻り報告して解散です。

今後、市民の皆さんが戻ればニーズも増えてくると思われますが、連休あけにボランティアが減るとその対応が難しくなると思われます。

原発事故の影響が心配かと思われますが、勇気あるボランティアさんに是非とも参加していただき、町の復興を支援していただくとともに、原発事故で生活が複雑になってしまったこの町の現状を見ていただきたいです。
なお参加される場合、事前に南相馬ボランティアセンターのサイト
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/
をチェックし、くれぐれも自己責任での参加をお願いします。
南相馬へは、仙台から1日一本バスがでています。
自家用車の場合は、福島市から県道12号か少し遠回りになりますが国道115号で相馬市を経由して入れます。なお県道12号は放射線量がやや多い飯舘村を経由しますので、今後の情報に注意してください。
宿泊についても南相馬ボランティアセンターのブログに記載があります。